携帯のカメラ

11.12.02

カメラ付きの携帯って今ではすごく当たり前のようになりましたけど、よくよく考えるとすごい事ですよね?デジカメの普及もフィルムを使うカメラの衰退を後押ししたと思いますが、携帯カメラの普及はそれを加速させました。私が学生時代には使い捨てカメラがすごく流行っていて、町の写真屋さんに毎週のように写真の現像を依頼しに行っていましたが、それが今では一般家庭でプリントできるんだからすごい進化ですよね。

携帯のカメラは今1600万画素クラスのものまで発売されています。搭載するレンズや撮像素子、処理エンジンなどにおいてデジタルカメラとの性能差はあるにせよ、撮った写真をすぐにメールで送信できたり、ブログにアップしたりできる携帯は、とても優れた使い勝手ですよね。追求したらキリがないと思いますが、少なくとも昔の使い捨てカメラで撮る写真より進化しているのではないかと思います。ちょっと旅行に行った先、有名人に偶然遭遇した時やふいに見つけた綺麗な景色を撮ったりできる利便性はデジタルカメラを凌駕していると思います。

瞳のフォトグラフ

11.06.10

『瞳のフォトグラフ』(ひとみのフォトグラフ)は原作・杜講一郎、作画・さくらあかみ(GUNP)による日本の漫画作品。ウェブコミック誌『FlexComixブラッド』で2008年9月3日より連載。

女子校の写真部を舞台にした学園漫画で、美少女キャラクターとデジタルカメラとを組み合わせ、実在のカメラメーカーや機種を実名(Web版ではでていないものの、単行本ではロゴが表示されており、各メーカーから使用許諾を得ている)で出し、カメラの描写にもこだわった作品となっている。

連載のきっかけは、作者による作品を見たフレックスコミックスの担当編集者が作者の2人に連載を打診したことから始まっている。企画当初は写真とは関係のない学園漫画だったが、作者としてはそれだけでは物足りないと感じていた。そうした中、原作担当の杜の目に入ったのが亡くなった伯母が写っていたポラロイド写真で、それを見たときに「自分の中で語りたかったテーマと写真から伝わってきたものが一致した。レンズを変えれば見え方が違うように、自分が実際に見ている世界と撮る世界とでは別の見え方がある。それを表現するために写真が一番マッチした」という。また主人公が写真の初心者であるということが、写真の素人である作者と等身大の目線で描けるというのも理由の一つとなった。

しかしながら、作者は2人とも写真は以前からの趣味であったが、一眼レフカメラについては未知の領域であり、聞きかじり程度の知識で書いていいか不安だった。そこで担当編集者から、単行本の発売元であるグループ会社のソフトバンククリエイティブが発行しているデジタルカメラ専門の写真雑誌「デジタルフォト」の編集者を紹介される。同誌が知識面をサポートすることで、漫画を描くことを続けられるようになった。

作中に登場するカメラやレンズのほとんどはすべて作者自ら購入し、使用している。実際に持って使うことでその楽しさをストレートに表現すれば読者に伝わるのでは、という考えから来ている。

舞台は愛知県名古屋市内の架空の街とされており、作中のロケーションとしてツインアーチ138(一宮市・国営木曽三川公園内)や名古屋港シートレインランド・名古屋港水族館・鶴舞公園が登場している。作者が名古屋在住であり、ロケハンがしやすいという点もあるが、作品の舞台を読者が訪れ、楽しめやすいという利点もある。既に実際に使われた場所を同じ構図で写真に撮ってウェブサイトに公開している読者もいるという。

読者層としては、Webコミックという特殊性から20代中盤からのPCユーザーが中心であると編集部は考えていた。しかし、単行本が発行されると、10代からの反響が高かったという。中には、これを読んだことで「登場人物と同じカメラを買った」「写真を撮りたくなった」という読者もでている。

ストーリー

家庭の事情により高校2年で転校した相原ハルカは転校初日、趣味で更新しているブログに掲載する写真を撮影しようと思い立つが上手く行かず、悪戦苦闘する。そこへ通りかかった写真部員・久家イヅミからアドバイスを受け撮影に成功。しかし、お礼を言おうとした時にはイヅミはその場を立ち去っていた。

その後も撮影を続けていたハルカは写真部長の京シオリの勧誘を受けて部室へ案内されるが、そこでイヅミとの再会を果たす。こうしてハルカは写真部に仮入部することになるが、ハルカが何気なく発した一言がイヅミの態度を硬化させてしまう。

写真集

03.22.10

写真集(しゃしんしゅう)とは、数十から数百の写真を、あるコンセプトによって編集したもの。

印刷物である場合が多いが、印画紙そのもので構成されたもの、CD-ROMなどのデジタル媒体の場合もある。(web写真も参照)

対象となる被写体は、人物、動植物、建築物、鉱物、天体等、森羅万象。テーマも、報道、スポーツ、ヌード、風景等、多岐にわたる。

撮影の対象を重視する場合と、撮影者を重視する場合に、大きく2つに分ける考え方もある。前者は、例えば、アイドル写真集(タレント写真集)、猫や犬などの動物の写真集や一部の報道写真集(「20世紀を写す」といった類のもの)であり、前者は、例えばかとうれいこなどの水着写真集であり、後者は、例えば、アンリ・カルティエ=ブレッソンやアンドレ・ケルテスなどの写真家の写真集である。もちろん、『篠山紀信が撮影した宮沢りえの写真集』といった、両方が重視される場合もあることから、この分類は絶対的なものではない。

出版物として流通されるものを写真集として考えがちであるが、個人が何枚かの写真をまとめ、1部だけ作ったものであっても写真集であると言える。

歴史

  • 写真集をどのように定義するかによってその起源はまちまちであるが、「複数の写真をまとめた複製可能なもの」の始まりとしてはタルボットによって1841年作られた「自然の鉛筆」が挙げられる。タルボットの発明したカロタイプはそれまで一般的であったダゲレオタイプに対して、ネガ-ポジ法によって複製を作ることが可能であった。そこで彼はカロタイプの技術を広めるために、写真集という形で発表することにした。(この「自然の鉛筆」の一冊が東京都写真美術館に収蔵されている)

年表

写真史を見る上で重要な、写真集にまつわる出来事を挙げる。

  • 1841年、フォックス・タルボットによる世界初の写真集「自然の鉛筆」が出版される
  • 1938年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)にてウォーカー・エバンスが写真家として初めて開催される。展覧会カタログ「American Photographs,1938」はそれまでの一枚ずつ見せる形から、一連の流れで編集されており、近代的な写真集の始まりとされる。
  • 1952年、アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集、「Images a la Sauvette(決定的瞬間)」が出版される。表紙はアンリ・マティス。
  • 1955年、MoMAにて「The Family of Man(人間家族)」展が開催される。展示を含め、人間が生まれてから死ぬまでの時間軸にそってエリオット・アーウィット、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・キャパなどの写真を並べるカタログの編集方法は、その後の写真集作りに大きな影響を与えた。
  • 1960年、土門拳写真集「筑豊のこどもたち」出版。
  • 1971年、荒木経惟写真集「センチメンタルな旅」出版。私写真の幕開け。
  • 1991年、荒木経惟写真集「センチメンタルな旅・冬の旅」出版。「愛しのチロ」とともに日本の写真集としては異例のロングセラーになる。これに合わせて行われた篠山紀信との対談で両者の考え方の違いから絶交状態になる(→「センチメンタルな旅・冬の旅」論争)。篠山紀信 撮影、宮沢りえ写真集「Santa Fe」が出版される。日本における写真集の売り上げトップに。
  • 1992年、土屋勝氏がアメリカで購入したロバート・メイプルソープ写真集が猥褻物であると税関で没収される。(その後2002年、最高裁判決として、国内持ち込み禁止処分は違法であると判決が下された。
  • 1996年、荒木経惟 撮影の藤田朋子写真集「遠野小説」(風雅書房)ISBN 9784894241190出版停止に。
  • 2006年、共同出版によって写真集の発行を行っていた新風舎の平間至写真賞から平間至が審査委員長を辞退。

アルバム (写真)

11.11.09

アルバム(photo album)とは、写真を見やすいように並べて整理するための冊子。あるいはそのような状態に整理された写真群。「写真帖(寫眞帖)」とも。

概要

アルバム (album)という語はラテン語の albo (白)に起源し、原義は「白いもの」という意味である。古代ローマで議事録として使われた白い石版がそう呼ばれたことから、関連するさまざまなものを記録にまとめたものを指すようになった。

伝統的なものでは本に似た体裁のものが一般的で、写真そのものを自由に貼り付けて個人ごとに作成するタイプと、学校の卒業記念のアルバムのように印刷などで複数作成するタイプのものがある。

20世紀後期からはパソコンやデジタルカメラの普及により、写真やその他の画像をデジタル情報として管理することも普通になり、記録媒体内やインターネット上で、それらを旧来のアルバム風に整理したものもまたアルバムと呼ばれるようになった。

複数の楽曲などを収めたメディアをアルバムと呼ぶのは、複数のレコードを冊子状に収納した初期の形態が写真用アルバムに似ていたことによる。また映像を中心にしたテレビ番組などにも、アルバムをめくるように映像を見せるとの意から、『自然のアルバム』、『皇室アルバム』などの番組名がつけられたものがある。

伝統的なアルバム

アルバムの誕生は、当然のことながら写真の誕生よりも後である。日本では明治時代中頃から大正時代にかけて、写真館などで写真を撮ることが一般人にも普及し、それに呼応して個人的アルバムも多く作られるようになった。初期のものは、何も印刷されていない本の様なものに写真を糊などで貼り付ける方式のもので、原理としてはスクラップブックと同じであるが、貼った写真が折れたりしないよう、台紙も容易に折れない丈夫な厚紙で作られているのが普通である。当時のものは写真をきれいに見せるためか、台紙が黒いものが多く、このようなものでは写真の周囲に文字を書き添えたりするのには不便であった。またこの頃には卒業記念などのアルバムも盛んに作られるようになるが、それらは非貼り付けタイプで、紙もやや薄く、写真の周囲は白っぽい紙の地色であり、教諭や生徒の名前などは写真に重なるように綴じられた薄紙に印刷されるのが一般的な形態であった。

大正期から昭和時代前期にかけては個人用カメラが徐々に普及し始め、専門の写真師によらない個人的な日常のスナップ写真も多く撮られるようになってくると、一個人が所有する写真の枚数も格段に増えるようなった。この頃にはアルバムに直接貼り付けるのではなく、写真の角を差し込む三角コーナーを貼り付けるものが多くなってくる。この方法では、写真を痛めずに台紙からはずして人に譲ったり、他の写真との入れ替えが簡単にできるようなった。またこれに似たものとして、やや融通が利かないが、台紙に最初から差込スリットが付いたものなどもあった。

高度経済成長を経験した昭和中期後半、一家族が複数のカメラを所持することも珍しくなくなった頃、紙にあらかじめ弱い接着剤を線状に何本も付けて、その上を透明なシートで覆うものが出現した。この方式では、台紙の好きな場所に写真を置き、上にシートをかぶせることで簡単に整理ができる上、写真の表面はシートで保護され、必要に応じて位置や写真自体の交換も容易にできるという画期的なものである。しかし何度も脱着を繰り返すと接着力が弱まったり、接着剤に埃などが着いて見苦しくなったり、さらには長期間の貼付で写真が台紙に固着するなどの不便が生ずる場合もあるが、21世紀現在でも広く売られている。1968年には、所蔵写真の増加に呼応するように、綴じ込み部分の改良によって容易に台紙を追加できる方式を採用した「フエルアルバム」がナカバヤシから発売された。

昭和後期には子供がカメラを持ち歩くことも普通になり、さらに一個人所有の写真の枚数が増えた。そうなるといちいち厚紙に貼るタイプのアルバムだけでは到底間に合わなくなり、大量の写真をどんどん整理する必要が出てきた。その目的に合致したものとして、クリアーファイルに似て、写真が一枚ずつ入るように区分けされたポケット式のアルバムも盛んに利用されるようになった。このタイプでは樹脂製のポケットは非常に薄いため、貼り付けタイプのようにかさばることなくコンパクトに整理することができるようになった。しかしその反面、旧来のタイプで実現できた自由なレイアウトや書き込みその他による装飾などがほとんどできないため、見栄えは格段に劣る。したがって観賞用というよりも一時整理や大量保管などに向いたものともいえる。

このような変遷の結果、21世紀初頭の日本では、単なる整理目的の簡便なものから、結婚記念や子供の誕生記念などを目的とした豪華な装飾のある貼り付けタイプまで、各種目的に応じて様々なタイプのアルバムが販売されている。

オンラインのアルバム

インターネットのweb上に撮影した写真をアップロードし、そこで公開したりするアルバムを作成することもできる。さまざまなサービスがあり、写真の編集、サイズやレイアウトの変更、カバーデザインの変更などができる。サイトによっては、キーワードで写真を整理したり、またコメントがつけられるようになっていたりというのもある。